第一児童病院入院記
12日目・カルテ
12日目、月曜日。ようやく退院できることになりました。午後に会計所で支払いを済ませて、退院許可証を取得、それを脱走防止の関所^^で提示し、晴れて病院を出られました。
まだ通院が必要なので、退院にあたり外来用のカルテを渡されたのですが・・・。
カルテ??
実はベトナムの病院では、患者カルテは病院で保存されません。"So Suc Kho"(健康手帳)という冊子が渡されるのですが、これにカルテや処方箋の欄があり・・・。
そう、ベトナムのローカル病院では、患者カルテは自分で保存するものなのです。外来でその日たまたま当たった医者にカルテを見せて、診察してもらうというシステム。ついでに言えば、薬も薬局でこれを見せて買う、と。
病院は手間が省けていいんでしょうけど、やはり自分の病歴をお医者さんがよく知っていないというのは心配ですね・・・。日本の病院、医療システムはやはり恵まれていると、つくづく感じた、入院体験でした。
9日目・入院患者のスケジュール
9日目のこのころになると、子供はもうすっかり元気。早くうちに帰してくれと言いたいところです。
ちなみにこの第一児童病院の入院患者のスケジュールは、朝医師の巡回診察をうけ、あとは昼に検温があるだけ。日本の病院のようにベッドに名札をつけたりもしないので、医者や看護婦が来るたびに、「この子の名前は?」と聞かれます。う~む、はたして患者の病状は把握されているのか・・・。日本のTVドラマ「Code Blue」では、患者50人の病状を常に把握しておくと言ってたけど、それは日本のドラマの中だけなのか?(日本のお医者さん、教えてください)
で、この9日目の朝の検診で、「う~ん、今日検査して問題なければ退院ですな。」とうれしい言葉をもらいました。おお、やっとか。
で、待つこと数時間。昼になっても検査の呼び出しはかからず。午後になりさすがに痺れを切らし、家内が医局へ聞きに行ったら、「担当医がいないからわからん!」と・・・。
2時まで待ちましたが結局なにもないので、子供は家内に任せて、私は仕事のために帰宅しました。
多分忘れられたな・・・。
土日は検査技師が休みだから、退院は早くても来週の月曜日。
まあ、これもベトナムでは「よくあること」と納得せねばなりませぬ┐( -"-)┌。
5~8日目・第一児童病院の歴史
入院5日目になると、立って歩けるまで回復し、食事も普通に取れるようになってきました。そろそろ退院か、と思い医者に聞いて見ましたが、様子見と抗生剤の注射のために、もうしばらく入院が必要とのこと。
病院の中を子供を連れてあちこち散歩しましたが、子供の遊び場の横に、「第一児童病院の歴史」という展示がありました。ここの左側です。
それによると、この病院の設立は1965年。ベトナム戦争が本格化した年です。
当時の写真を見ると、建物は当時も今もほとんど同じですが、設備がないので「野戦病院を大きくきれいにした感じ」というのが正直な感想。物資も満足になかった時代なので、注射針を砥石で砥いで再利用したり、注射器や点滴のチューブも煮沸消毒して何度も再利用したり、といった様子が紹介されていました。ちなみに現在は、ちゃんと1回使い捨てタイプを使っているそうです^^。
この病院に来ている親御さんたちもみんなそういう時代を知っている人たちだろうと思われるので、日本人感覚で見ると劣悪な環境も、ものともしないんでしょうね。
4日目・脱走防止?
入院4日目。熱は引いてきましたが、おとといの腰椎穿刺の影響か、痛がって立つこともできず、起きている時間はひたすら抱っこ。
とにかく抱いていないと火がついたように泣き出すので・・・。
まだ物はほとんど食べられない状態。でも点滴なんてしないところがベトナムです^^。
この日は上の子供を連れて病院へ見舞いに行きましたが、病院では子供の入院病錬への立ち入りが厳しく制限されているのを知りました。
入院病錬の入り口には24時間ガードマンがいて、大人は何もとがめられず入れるのですが、子供は一切入場禁止になっています。
思うにこれは、経済苦による脱走を防ぐためではないかと・・・。というのも、入院患者(児童病院だからもちろん子供)は退院証明書と治療費の支払い領収書を提示しないと、この関所を通ることができません。
付き添い家族の子供が病錬に入ると、「これは入院患者じゃなくて家族だ!」と強弁して脱走?可能なので、じゃあ子供は一切入場禁止にしてしまえ、とまあそういうことなのではないかと勝手に想像しました。
ですから子連れの面会では、患者を抱っこして関所(?)まで連れてきて、そこでガードマンの許可を得てから横のベンチで面会と相成ります。
日本の病院では、こんなことあるんですかね?日本で入院したことがないんでわかりませんが、誰か教えてください。
3日目・プチVIP病室
ホーチミン第一児童病院入院3日目。吐かなくはなりましたが、依然熱は下がらず・・・。
腰椎穿刺の結果は・・・。
医者の当初の予想通り、ウイルス性脳炎でした。後遺症が残りやすい日本脳炎ではないので少し安心しましたが、でも軽い病気ではありません。
で、この日は病室を移動。エキストラチャージを払って、一人1ベッドを占有^^できるプチVIP(?)病室に移動しました。前の一般病錬は一日5万ドン(約300円)。移動した部屋はいくつかあるランクの中の上ぐらい、12万ドン(約650円)。6人部屋で室内に共同トイレ、テレビと屋上のファンがついています。日本の病院だったら下の下かもしれんですが、ここではプチVIP(爆)。
ちなみにエアコン付のVIPルームだと1日20万ドン(1100円ぐらいかな・・・)。正月のこの時期は涼しいので、まあエアコンはナシでいきました。
こうして落ち着いたところで病院を観察してみたのですが、夜の様子が昔僕が登山をしていたころによく似ているな、と。
ロッククライミングとかをしていて岸壁の岩棚で寝るときなど、ツエルトという簡易テントを吊って寝ます。テントというより、テントの形をしたペラペラのナイロンシートなんですが、こんな感じで。
で、付き添い家族が廊下や階段の踊り場下などに、この写真みたいな按配でズラ~っと蚊帳を吊って寝ているわけです。それも1人や2人じゃなくて、数十、いや病院全体で見れば数百人(爆)。
日本では考えられないような光景なわけですが、これもベトナムでは当たり前。写真を撮るのは不謹慎なので撮りませんでしたが、壮観です。普通の日本人が見たら、思いっきり引くでしょうね^^。
病院のお偉方はみなベトナム戦争で野戦病院を経験したであろう世代なので、こんなの規制しようとも思わないんでしょう。まあ僕もヒマラヤとかけっこう厳しい登山をしていたので、ショックは受けませんでしたが。
やはり日本の病院は恵まれています。
2日目・難民キャンプか野戦病院か・・・
第一児童病院入院2日目、この日は検査でした。
脳炎の検査には髄液を調べねばならないということで、腰のあたりの背骨に注射を刺して中の髄液を抜き取るという、腰椎穿刺をされました。脳腫瘍摘出手術を受けたことのある知り合いによると、これは大層痛いそうで・・・。手術室の外まで泣き声が響いてくるので、かわいそうでなりませんでした。
で、結果は。
明日にならねば出ないとのことで、あとはそのまま入院。この日は一般入院病棟に移りました。
ここだけではないですが、ベトナムの公営病院では、ベッド2人寝は当たり前。付き添い家族は、もし一人でベットを使えるなら子供と一緒に寝る。他の患者と合ベッドになったら、ベットの下にゴザをしいて寝ます。廊下にもゴザを敷いて寝る人がいっぱいで、さながら難民キャンプか野戦病院のようで壮観です(笑)。
ちなみにナースコールはもともとついてません。もし容態が悪くなれば、誰かが伝令に走る、と。
それと、入院患者への食事もありません。これは付き添い家族が用意すべきもの。
こういう状況を見ると、いろいろ批判のある日本の病院も、恵まれているな~とつくづく思いますね。
1日目・第一児童病院入院
ホーチミン市の第一児童病院に、2009年の元旦早々子供がウイルス性脳炎にかかり入院しました。
朝は元気だったのですが、昼ごろから元気がなくなり、顔面も真っ青。水を飲んでも吐くようになり、この時点で熱も38度ほどありました。
とりあえず薬局で吐き気止めの薬を買ってきて飲ませたのですが、飲んでもすぐ吐いてしまうので意味ナシ。夕方には熱が39度台まで上がったため、近所にあるホーチミン市最大の国営児童病院、「第一児童病院」の救急外来へ連れて行きました。
そして診断の結果、脳炎の疑いがあるとのことで、救急病棟の病室にそのまま入院が決定。元旦早々、我が家はいきなりのハプニングでした。
この第一児童病院の救急病室ですが、人工呼吸器の子供や意識がない子供がいたりで、かわいそうで直視できませんでした。この病室の中では、我が子は一番元気なほう。
ちなみに、ベトナムの公営病院では、一つのベッドに2人が寝るのは当たり前。この日は患者が少なかったので1ベッド占有できましたが、患者が多いと2人になります。これはこの児童病院のみならず、家内の出産のときも同様でした。
こんな感じで、まさかの元旦となってしまいました・・・。